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浮世絵とは何か

浮世絵とは、江戸時代に生まれ、町の暮らしや流行、芝居、名所などを描いた絵画です。多くは木版画として摺られ、手ごろな値段で売られて、江戸の人々の暮らしに広く行きわたりました。本稿では、「浮世」ということばの意味から、浮世絵の始まりと技法の移り変わり、描かれた画題、時代ごとの主な絵師、明治以降の展開までを、辞典や美術館の解説をもとにたどります。

「浮世」ということば

「浮世」は、もとは「憂き世」と書かれたことばです。平安時代後期から室町時代にかけては、仏教の無常観にもとづいて、つらいことの多い現世を否定的にとらえることばでした。江戸時代になると、はかない世の中だからこそ楽しく生きようという考え方が広まり、現世を肯定的にとらえる意味をこめて「浮世」と書かれるようになります。

浮世絵の「浮世」にも、あの世ではないこの世、過去でも未来でもない今、そして色恋の気配の濃い俗世間という、いくつもの意味が重なっています。浮世絵とは、その時代の「今」を描いた絵だといえます。

始まりは菱川師宣

浮世絵の祖とされるのは、菱川師宣(?–1694)です。師宣は万治・寛文年間(1658〜73)に江戸に出て、版本の挿絵を描く絵師たちに加わりました。遊里や芝居町の風俗を描いて評判を得て、やがて挿絵から版画を独立させ、一枚の絵として鑑賞する「一枚絵」を確立しました。

浮世絵には、木版画のほかに、筆で描いた肉筆画もあります。師宣の「見返り美人図」(東京国立博物館蔵)は絹に描かれた肉筆画で、肉筆画を専門とする浮世絵師もいました。

墨一色から錦絵へ

初期の浮世絵版画は、墨一色で摺った墨摺絵でした。そこに筆で色を加えたものが作られ、元禄から享保初年(1690〜1720ころ)にかけては、丹を主な色とした「丹絵」が、享保初年から寛保年間(1741〜44)にかけては、紅を主な色とした「紅絵」が行われました。濃い墨の部分に膠を混ぜて光沢を出した「漆絵」と呼ばれる形式もあります。

やがて色そのものを版で摺る工夫が進み、紅や緑など二、三色を摺り分けた「紅摺絵」が、宝暦年間(1751〜64)まで20年ほど盛んに作られました。そして明和2年(1765)、江戸の好事家のあいだで絵暦を交換する会が流行したことをきっかけに、多くの色を摺り重ねる多色摺の木版画が生まれます。錦織物のような華やかさから「東錦絵(吾妻錦絵)」と名づけられた、錦絵の誕生です。その中心にいた鈴木春信は、一躍、浮世絵界随一の人気絵師となりました。錦絵の制作工程は浮世絵ができるまでで紹介しています。

版元と三つの職人

浮世絵版画は、出版元である版元が企画し、絵師、彫師、摺師の三者の技を合わせて作られました。版元が題材を決めて絵師に版下絵を依頼し、彫師が版木を彫り、摺師が色ごとに摺り重ねます。安価で質のよい絵を広く人々に届けるため、浮世絵は木版画を主な表現の形式としました。大判の錦絵一枚の値段は、かけそば一杯とほぼ同じであったといわれます。

一枚の浮世絵には、絵師の落款や版元印、検閲を経たことを示す改印などが摺り込まれています。読み取り方は浮世絵の見方と浮世絵用語集をご覧ください。

何が描かれたか

浮世絵は、遊里の風俗と美人画、歌舞伎と役者絵を二本の柱として発展しました。美人画の歩みは美人画の系譜で、役者絵の歩みは歌舞伎と役者絵で詳しく紹介しています。

歌川国貞(三代豊国)《今様三十二相 始末がよさ相》安政6年(1859)国立国会図書館蔵東洲斎写楽《三代目大谷鬼次の江戸兵衛》寛政6年(1794)メトロポリタン美術館蔵
歌川国貞(三代豊国)《今様三十二相 始末がよさ相》安政6年(1859)国立国会図書館蔵/東洲斎写楽《三代目大谷鬼次の江戸兵衛》寛政6年(1794)メトロポリタン美術館蔵

江戸時代後期には、葛飾北斎や歌川広重による名所絵(風景画)、歌川国芳らによる和漢の英雄豪傑を描いた武者絵が、大きな分野となりました。北斎の「冨嶽三十六景」と富士への信仰については富士信仰と「冨嶽三十六景」で、広重の名所絵については歌川広重と名所絵で紹介しています。

歌川広重《六十余州名所図会 周防 岩国錦帯橋》歌川国芳《義経十九臣》(大判三枚続のうち)
歌川広重《六十余州名所図会 周防 岩国錦帯橋》/歌川国芳《義経十九臣》(大判三枚続のうち)

このほか、花鳥画、動物に人のしぐさをさせた戯画、妖怪や幽霊を描いた作品、団扇に貼るための団扇絵など、浮世絵の画題は多岐にわたります。金魚や猫のように、身近な生き物も好んで描かれました。

時代ごとの主な絵師

浮世絵の歴史は、明暦3年から宝暦年間(1657〜1764)の初期、明和から寛政年間(1764〜1801)の中期、享和から慶応年間(1801〜68)の後期に分けて説明されることがあります。主な出来事は浮世絵年表にまとめています。

後期の浮世絵界では、歌川豊春に始まる歌川派の絵師が主流を占めました。その系譜は歌川派の系譜で紹介しています。

最幕末には、月岡芳年らが世相を映すような作品も手がけました。芳年は明治に入ってからも活躍し、明治21年(1888)には美人画の揃物「風俗三十二相」を描いています。

明治以降と海外への広がり

明治に入ってからも、日清戦争のころまでは浮世絵の流れをくむ絵師たちの活躍が続きました。彩色摺の絵入り新聞である「錦絵新聞」は、浮世絵がもともと備えていた時事を伝える働きを、時代の求めに応じて強めたものといえます。しかし、明治の半ばを過ぎると、浮世絵は次第に衰えていきました。

一方で、浮世絵の版画は、西洋の近代絵画、とくにフランスの印象派に大きな影響を与えました。その広がりについてはジャポニスムと浮世絵で紹介しています。また、明治42年(1909)に渡辺版画店を創立した版元の渡辺庄三郎(1885–1962)は、橋口五葉、伊東深水、川瀬巴水らに原画を依頼して「新版画」を制作しました。

当店の商品

当店では、葛飾北斎、歌川広重、歌川国芳、東洲斎写楽、歌川国貞の作品を図案にしたTシャツやトートバッグ、ポーチ、マグカップを販売しています。浮世絵グッズ一覧のほか、富士山、猫、妖怪、歌舞伎といったテーマからもお探しいただけます。

掲載した図版のうち、歌川広重と歌川国芳の作品は運営会社が所蔵する作品を撮影したもの、東洲斎写楽の作品はメトロポリタン美術館がパブリックドメインとして公開している画像、歌川国貞の作品は国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている画像です。

参考資料

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