
浮世絵を一枚手に取ったら、絵そのものだけでなく、紙の大きさや画面の隅に押された小さな印にも目を向けてみてください。そこには、いつ、誰が、どの版元から出したのかを知る手がかりが残されています。
判型 紙の大きさ
浮世絵の大きさは、もとになる紙を何分の一に切ったかで決まっていて、これを「判型」と呼びます。もっとも作例が多いのは「大判」で、大奉書という紙(およそ39×53cm)を二つに切った約39×26.5cm。いまのB4判くらいの大きさです。
おもな判型(寸法はおよその目安)
- 大判
- 約39×26.5cm(大奉書の二つ切り)
- 中判
- 大判の半分
- 間判
- 約33×23cm(小奉書の二つ切り)
- 細判
- 約33×15cm
- 大短冊
- 約39×18cm(大奉書の縦三つ切り)
- 三枚続
- 大判三枚をつなげて一つの画面にしたもの
縦長に使えば「竪絵」、横長に使えば「横絵」です。北斎の『冨嶽三十六景』や広重の保永堂版『東海道五拾三次之内』は大判の横絵、広重の『六十余州名所図会』は大判の竪絵、国芳の「金魚づくし」は中判。国芳の「相馬の古内裏」は大判三枚続で、三枚を横に並べると大骸骨が画面いっぱいに現れます。
題と落款


上の二つは、三代歌川豊国(国貞)の「東海道五十三次之内 日本橋品川の間 高輪 大星力弥」(嘉永5年)の部分です。左は、シリーズ名と宿場名、役名を書き込んだ題の枠。右は「豊国画」の落款(署名)です。
落款は、作者を知る手がかりであると同時に、制作時期を推し量る材料にもなります。絵師は生涯のうちに画号を変えることが多く、たとえば北斎は春朗、宗理、北斎、為一、画狂老人卍と号を替えていきました。国貞が「豊国」と署名するのは、豊国を襲名した天保15年(1844)以降です。どの号で署名しているかを見れば、おおよその時期がわかります。
版元印
画面のどこかに、版元の屋号などを図案にした印が押されていることがあります。これが版元印です。彫師や摺師の名が入る例もあります。同じ図柄でも版木が別の版元に移ると印が替わることがあり、摺られた時期や経緯を考える手がかりになります。
改印(あらためいん)
江戸時代の錦絵は、出版前に検閲を受けました。検閲済みを示す印が「改印」です。寛政の出版統制を受けて「極(きわめ)」の印が使われ始め、その後、名主の印、年月を示す印などへと形を変えながら、明治8年(1875)ごろまで続きました。印の形が時期ごとに違うため、刊行年を推定する大切な基準になっています。
上の「高輪 大星力弥」は、東京都立図書館の記録によると嘉永5年(1852)9月の改印をもつ作品です。この時期の錦絵には、名主の印と、干支と月で年月を表す印が組み合わされて押されていました。
ただし、改印が示すのは検閲を受けた時期で、実際に摺られた時期ではありません。後摺の作品にも同じ印がそのまま残りますし、印が長いあいだ変わらなかった時期もあります。改印は年代推定の頼れる手がかりですが、それだけで決めつけないことが大切です。
見方がわかると、楽しみが増える
判型、題、落款、版元印、改印。どれも小さな情報ですが、知っていると美術館の展示や図録の見え方が変わります。当店の作品解説や商品ページの「作品データ」も、こうした情報をもとにまとめています。








