
東洲斎写楽は、寛政6年(1794)5月から翌年正月までのおよそ十か月のあいだに百四十図あまりの作品を残し、その後の消息が知られていない浮世絵師です。作品はいずれも蔦屋重三郎の店から刊行されました。最初に刊行された役者大首絵二十八図は、背景に雲母の粉を摺り込んだ「黒雲母摺」の豪華な仕立てで、役者の顔立ちや癖を誇張をまじえて描き出しています。明治43年(1910)にドイツの研究者ユリウス・クルトが著書『SHARAKU』で紹介したことを機に欧米で評価が高まり、今日では浮世絵を代表する絵師の一人に数えられています。
寛政6年5月の役者大首絵
寛政6年5月に刊行された二十八図は、同月に江戸三座で始まった興行に取材したもので、演目は都座の『花菖蒲文禄曽我』、桐座の『敵討乗合話』、河原崎座の『恋女房染分手綱』とその切狂言『義経千本桜』です。このうち二十七図は東京国立博物館が所蔵し、1962年に「版画寛政六年五月興行江戸三座役者似顔絵」として一括で重要文化財に指定されています。

作品データ
- 作品名
- 三代目大谷鬼次の江戸兵衛
- 絵師
- 東洲斎写楽
- 判型
- 大判錦絵(黒雲母摺)
- 刊行
- 寛政6年(1794)5月
- 版元
- 蔦屋重三郎
- 取材
- 河原崎座『恋女房染分手綱』
- 所蔵
- メトロポリタン美術館(図版はパブリックドメイン)
江戸兵衛と奴一平
「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」は、『恋女房染分手綱』のなかで、悪党の江戸兵衛が鷲塚八平次に頼まれ、奴一平が預かる金を奪おうと襲いかかる場面を描いたものとされます。前に突き出した両手は指を開ききらずにこわばらせ、つかみかかる直前の緊張を伝えます。への字に結んだ口と鋭い目つきには、三代目大谷鬼次の顔立ちと、悪役としての凄みがともに表されています。
同じ場面の一平を描いた「市川男女蔵の奴一平」と対をなす作品ともいわれます。当店のTシャツとポーチは、この二図を向かい合わせに配したデザインです。
同時代の評価
同時代の写楽の評判は、必ずしも芳しいものではありませんでした。浮世絵師の伝記集『浮世絵類考』の写楽の項には、役者の似顔を描いたものの「あまりに真を画かんとて、あらぬさまに書なせしかば、長く世に行はれず」、一、二年で筆を止めたと記されています。役者を美しく見せることよりも、素顔の特徴をありのままに捉えようとした描き方が、当時の贔屓筋には受け入れられにくかったと考えられています。
作画期の区分
写楽の作品は、寛政6年5月から寛政7年(1795)正月までのおよそ十か月に限られます。作品は刊行の時期と画風によって、一般に次の四期に分けられます。
- 第一期(寛政6年5月):大判・黒雲母摺の大首絵、二十八図
- 第二期(同年7〜8月):大判の二人立ち全身像と細判の全身像、三十八図
- 第三期(同年11月〜閏11月):細判の全身像を中心に、間判の大首絵や相撲絵も含む六十四図
- 第四期(寛政7年正月):細判の全身像と相撲絵、十二図
落款は第二期までが「東洲斎写楽画」、第三期以降は「写楽画」です。総数は百四十図あまりで、数え方によって百四十二図から百四十六図まで幅があります。後期になるほど筆の勢いが衰えるとする評価も多く、短期間に作風が大きく変わったことも、写楽をめぐる謎の一つとされています。
写楽の素性をめぐる説
写楽の素性を記した史料として知られるのが、斎藤月岑が天保15年(1844)ごろにまとめた『増補浮世絵類考』です。そこには「俗称斎藤十郎兵衛 居江戸八丁堀 阿波侯の能役者也」とあり、写楽を阿波徳島藩お抱えの能役者・斎藤十郎兵衛としています。
この記述が長く裏づけられなかったこともあり、葛飾北斎、喜多川歌麿、蔦屋重三郎、円山応挙など、三十人を超える人物が写楽の候補に挙げられてきました。1997年、埼玉県越谷市の法光寺の過去帳に、「八丁堀地蔵橋 阿州殿御内 斎藤十郎兵衛」が文政3年(1820)に没した記録が確認され、十郎兵衛の実在が裏づけられました。現在はこの斎藤十郎兵衛説が最も有力とされていますが、十郎兵衛が写楽本人であることを直接示す史料は見つかっていません。
版元・蔦屋重三郎
写楽の作品を刊行した蔦屋重三郎(1750–1797)は、喜多川歌麿の美人大首絵や、山東京伝の黄表紙・洒落本などを世に送り出した江戸の版元です。無名の絵師の作品を、黒雲母摺の大判二十八図で一度に売り出したことは、当時としても異例の企画でした。2025年のNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』は、この蔦屋重三郎を主人公に取り上げました。

二人の役者を一図に描いた第一期の作品です。描かれた場面については、河原崎座の切狂言『義経千本桜』四段目「川連法眼館」とする見方と、同じ興行の一番目狂言『恋女房染分手綱』とする見方があります。
当店の写楽の商品
当店では、江戸兵衛と奴一平を向かい合わせに配したTシャツ、江戸兵衛の顔と手を大きく配したスポーツTシャツ、同じ二図を用いたフラットポーチ(S)と(M)を販売しています。一覧は東洲斎写楽の商品からご覧ください。
掲載した図版2点は、メトロポリタン美術館がパブリックドメインとして公開している画像です。









