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浮世絵年表 ― 菱川師宣から明治の新版画まで

浮世絵の歴史を、主な出来事と作品の刊行年でたどる年表です。年代は元号と西暦を併記し、刊行年に諸説があるものは「頃」としています。各項目の詳しい内容は、当店の記事で紹介しています。浮世絵の成り立ちの全体像は浮世絵とは何かをご覧ください。

17世紀後半〜18世紀前半 浮世絵の始まり

  • 万治・寛文年間(1658〜73) 菱川師宣が江戸に出て、版本の挿絵を描く絵師たちに加わる。のちに挿絵から独立した「一枚絵」を確立し、浮世絵の祖とされる。
  • 貞享4年(1687) 鳥居清信が父の清元とともに大坂から江戸に出る。清信はのちに一枚摺りの役者絵を始める。
  • 元禄3年(1690) 鳥居清元が市村座の看板絵を描く。鳥居派の始まりとされる(歌舞伎と役者絵)。
  • 元禄〜享保初年(1690〜1720ころ) 墨摺絵に筆で丹を加えた「丹絵」が行われる。
  • 1704年ごろ ベルリンで合成顔料のプルシアンブルー(ベロ藍)が生まれる(ベロ藍と浮世絵)。
  • 正徳4年(1714) 江島生島事件で山村座が取り潰され、以後、明治の初めまで江戸三座の体制が続く。
  • 享保初年〜寛保年間(1716ころ〜1744) 紅を主な色とした「紅絵」が行われる。
  • 宝暦年間(1751〜64)まで 紅や緑など二、三色を版で摺り分けた「紅摺絵」が、20年ほど盛んに作られる。

18世紀後半 錦絵の誕生と寛政期

  • 明和2年(1765) 絵暦を交換する会の流行をきっかけに、多色摺の木版画「錦絵」が生まれる。中心にいた鈴木春信が人気を集める(美人画の系譜)。
  • 明和7年(1770) 鈴木春信が没する。同年、勝川春章と一筆斎文調の合作『絵本舞台扇』が刊行され、役者の顔立ちを描き分ける「似顔」の役者絵が広まる。
  • 天明期(1781〜89) 鳥居清長が、すらりと背の高い健康的な美人を描いて人気を集める。
  • 寛政3年(1791) 版元の蔦屋重三郎が、出版統制令に違反したとして身上半減の処罰を受ける。
  • 寛政4〜6年(1792〜94)頃 喜多川歌麿が「婦人相学十躰」「歌撰恋之部」などの美人大首絵を発表する。
  • 寛政6年(1794) 東洲斎写楽が5月から翌年正月までのおよそ十か月に、百四十図あまりの役者絵を蔦屋重三郎のもとから発表する(東洲斎写楽と蔦屋重三郎)。同じ年、初代歌川豊国の「役者舞台之姿絵」の刊行が始まる。

19世紀前半 北斎・広重・国芳の時代

  • 文化元年(1804) 喜多川歌麿が「太閤五妻洛東遊観之図」をとがめられ、手鎖の刑を受ける。
  • 文化11年(1814) 『北斎漫画』の初編が刊行される。明治11年(1878)の第十五編で完結。
  • 文政10年(1827)ごろ 歌川国芳の「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」の刊行が始まり、国芳は武者絵で評判を得る(歌川国芳と戯画)。
  • 1820年代の終わりごろ ベロ藍が大量かつ安価に輸入されるようになり、浮世絵の青が鮮やかになる。
  • 天保2年(1831)頃 葛飾北斎の「冨嶽三十六景」の刊行が西村屋与八から始まる(葛飾北斎と「冨嶽三十六景」)。
  • 天保4年(1833) 歌川広重の「東海道五拾三次之内」(保永堂版)の刊行が始まる(歌川広重と名所絵)。
葛飾北斎《冨嶽三十六景 凱風快晴》歌川広重《東海道五拾三次之内 岡崎 矢矧之橋》
葛飾北斎《冨嶽三十六景 凱風快晴》/歌川広重《東海道五拾三次之内 岡崎 矢矧之橋》
  • 天保12年(1841) 天保の改革が始まる。江戸三座が浅草の猿若町へ移される。翌年6月には、役者絵や遊女・芸者を描いた錦絵が禁じられ、錦絵一枚の値段も十六文以下に抑えられる。
  • 天保13年(1842)頃 国芳の「金魚づくし」、広重の団扇絵「童遊ひ見立ほふづき」が刊行される。
  • 天保15年(1844) 歌川国貞が師の名を継いで豊国を名乗る。今日では三代豊国と数えられる(歌川国貞(三代豊国)と役者絵)。
  • 弘化2〜3年(1845〜46)頃 国芳の大判三枚続「相馬の古内裏」が刊行される(百鬼夜行図と妖怪画の系譜)。

19世紀半ば 幕末の歌川派

  • 嘉永5年(1852) 豊国(国貞)が、東海道の宿場と芝居の人物を組み合わせた役者絵の揃物を手がける。国芳の「たとゑ尽の内」もこの年の作。
  • 嘉永6年(1853) 評判記『江戸寿那古細撰記』が「豊国にかほ(似顔)、国芳むしや(武者)、広重めいしよ(名所)」と評する(歌川派の系譜)。広重の「六十余州名所図会」の刊行が始まる。
  • 嘉永7年(1854) 広重と豊国(国貞)の合作「雙筆五十三次」の刊行が始まる。
  • 安政3年(1856) 広重の最晩年の揃物「名所江戸百景」の刊行が始まる。
  • 安政5年(1858) 広重が没する。
  • 安政6年(1859) 国貞の美人画の揃物「今様三十二相」が刊行される。
  • 文久元年(1861) 国芳が没する。
  • 元治元年(1864) 国貞が没する。

明治以降と海外への広がり

  • 1867年 日本がパリ万国博覧会に初めて正式に参加する(ジャポニスムと浮世絵)。
  • 1872年 フランスの批評家フィリップ・ビュルティが「ジャポニスム」という語を初めて用いたとされる。
  • 明治8年(1875)ごろ 出版の検閲を示す「改印」の制度が終わる(浮世絵の見方)。
  • 1887年 パリに滞在していたゴッホが、広重の「名所江戸百景」のうち「亀戸梅屋舗」と「大はしあたけの夕立」を油彩で模写する。
  • 明治21年(1888) 国芳の門人の月岡芳年が、美人画の揃物「風俗三十二相」を描く。
  • 1905年 ドビュッシーの管弦楽曲『海』の初版スコアの表紙に、北斎の大波をもとにした図が用いられる。
  • 明治42年(1909) 版元の渡辺庄三郎が渡辺版画店を創立する。のちに橋口五葉、伊東深水、川瀬巴水らに原画を依頼して「新版画」を制作する。
  • 明治43年(1910) ドイツの研究者ユリウス・クルトが著書『SHARAKU』で写楽を紹介し、欧米で写楽の評価が高まる。
  • 2024年 7月に発行が始まった千円札の裏面に、北斎の「神奈川沖浪裏」が用いられる。

当店の商品

当店では、この年表に登場する葛飾北斎、東洲斎写楽、歌川国芳、歌川広重、歌川国貞の作品を図案にしたTシャツやトートバッグ、ポーチ、マグカップを販売しています。浮世絵グッズ一覧のほか、葛飾北斎、東洲斎写楽、歌川国芳、歌川広重、歌川国貞の絵師ごとの一覧からもお探しいただけます。

掲載した図版2点は、運営会社が所蔵する作品を撮影したものです。年表の各項目は、当店の各記事で参照した辞典、美術館・図書館の資料にもとづいています。

参考資料

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