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浮世絵に描かれた猫

浮世絵には、さまざまな姿の猫が描かれています。女性の暮らしのそばにいる猫、着物を着て人のようにふるまう猫、文字や地名の洒落になった猫、そして芝居に登場する化け猫まで、その表情は多彩です。ここでは、江戸の暮らしと猫のかかわりにふれながら、猫を好んで描いた歌川国芳の作品を中心に紹介します。

江戸の暮らしと猫

猫は少なくとも弥生時代には日本にいたとみられ、奈良・平安時代には数が少なく、上流階級が愛玩する動物でした。江戸時代になると庶民の暮らしにもなじみ、食べ物や器物、書物をかじる鼠を捕る動物として重宝されました。上野国の新田岩松氏の当主四代が描いた「新田猫絵」は、鼠よけに効き目があるとされ、養蚕の神としても信仰を集めています。

浮世絵の猫は、国芳に始まるものではありません。東京国立博物館には、鈴木春信の「鼠、猫と遊ぶ娘と子供」(明和5〜7年頃)や、喜多川歌麿の「針仕事」(寛政6〜7年頃)など、女性や子どもの暮らしのなかに猫を描いた作品が伝わっています。

猫を愛した絵師、歌川国芳

猫の浮世絵を語るうえで欠かせないのが、歌川国芳(1797–1861)です。太田記念美術館は、国芳が家で常に十数匹の猫を飼っていたと伝えられると紹介しています。河鍋暁斎の『暁斎画談』(明治20年〈1887〉刊)には、天保8年(1837)に数え七歳の暁斎が国芳に入門した場面が描かれていますが、そこでも猫が仕事中の国芳の懐に入り込み、机の上に転がっています。月岡芳年が国芳の十三回忌のころに描いたと考えられる肖像画(明治6年〈1873〉)でも、国芳の足もとには白い猫が寄り添っています。

天保の猫ブーム

天保12年(1841)から翌年にかけて、江戸では猫を描いた浮世絵が大いに流行し、その中心にいたのが国芳でした。天保12年の団扇絵「猫の百面相」は、歌舞伎役者の似顔を猫の顔に描いたもので、評判をとり、この団扇を使う「猫の所作事」が芝居で上演されたほどでした。同じ年の「流行猫の曲鞠」は、当時浅草で評判だった上方の曲鞠の名人・菊川国丸の芸を、猫に演じさせています。

天保13年頃の「猫の当字」は、猫の体を組み合わせて「たこ」「うなぎ」「かつを」「ふぐ」「なまづ」と魚の名を仮名で表した五図の揃物です。表ではさまざまな姿勢をとる猫が、裏から透かして見ると般若や獅子の影絵になる団扇絵「絵鏡台合かゞ身」も、同じころの作とされます。山東京山が文を書き、国芳が絵を描いた合巻『朧月猫の草紙』は、天保13年に初編が出て、嘉永2年(1849)の七編まで続くベストセラーとなり、猫の人気をさらに高めました。

天保13年6月には、天保の改革にともなう出版統制で役者絵や遊女の錦絵が禁じられ、この時期から、猫をはじめ動物を人に見立てた浮世絵が増えていきます。ただし「猫の百面相」や「流行猫の曲鞠」は禁令の前年の作で、猫の流行を改革だけで説明することはできません。太田記念美術館の学芸員は、国芳が版元たちとともに意識的に猫ブームを演出しようとしたふしがある、とも述べています。

ことば遊びの猫

猫は、言葉遊びの題材にもなりました。弘化4年(1847)から嘉永元年(1848)頃の国芳の大判三枚続「其まゝ地口猫飼好五十三疋」(そのまま じぐち みょうかいこう ごじゅうさんびき)は、東海道の宿場名を、猫にちなむ地口(語呂合わせ)に置き換えたものです。日本橋は鰹節二本の「二本だし」、戸塚は「はつか(二十日鼠)」、川崎は「かばやき」となっており、題そのものも「東海道五十三次」をもじっています。

嘉永5年(1852)の「たとゑ尽の内」は、猫にまつわることわざを猫の姿で描いた大判三枚続です。「猫に小判」「猫に鰹節」を示す小判や鰹節が小道具として描き込まれ、赤い絞りの手ぬぐいをかぶったり首に巻いたりする猫のしぐさには、実際の猫の動きがよくとらえられています。

歌川国芳《たとゑ尽の内》(大判三枚続のうち右)嘉永5年(1852)
歌川国芳《たとゑ尽の内》(大判三枚続のうち右)嘉永5年(1852)

化け猫と歌舞伎

猫は怪異の主人公にもなりました。文政10年(1827)6月に江戸の河原崎座で初演された四世鶴屋南北の『独道中五十三駅』では、四幕目の岡崎の場に化け猫が現れ、三代目尾上菊五郎の演じる猫の精が大評判をとりました。行灯の油をなめる老婆という、化け猫のおなじみの姿も、この作品で南北が生み出したものとされます。鍋島、有馬と並ぶ三大化け猫騒動の一つに数えられる「岡崎」は、実際の事件に由来する前の二つとは異なり、南北の創作です。

この芝居に取材した浮世絵も描かれました。国芳の門人・歌川芳藤の「五拾三次之内猫之怪」(弘化4年〈1847〉)は、大小の猫を寄せ集めて巨大な化け猫の顔を形づくった寄せ絵で、国芳自身も、岡崎の化け猫を描いた芝居絵の三枚続を残しています。

窓辺の猫と招き猫

歌川広重の「名所江戸百景」のうち「浅草田甫酉の町詣」(安政4年〈1857〉11月)は、新吉原の遊女屋の窓辺にいる猫の目を通して描かれた一図です。猫が眺めているのは、11月の酉の日に鷲神社に参り、熊手を担いで帰る人々の行列です。

猫は縁起物にもなりました。嘉永5年(1852)頃には、浅草で今戸焼の土人形「丸〆猫」が売り出されて大流行し、その様子は当時の浮世絵や文献にも記録されています。丸〆猫は招き猫の先祖ともいえる人形で、その流行は四、五年で終わったといわれます。

当店の商品

当店では、「たとゑ尽の内」の猫を図案にしたTシャツ、マグカップ、トートバッグSを販売しています。一覧は猫の浮世絵グッズからご覧ください。猫が金魚鉢をのぞき込む「金魚づくし 百ものがたり」については江戸の金魚と浮世絵で、団扇絵については団扇絵と見立で紹介しています。

掲載した図版は、Wikimedia Commonsで公開されているパブリックドメインの画像です。

参考資料

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