
北斎の大波や広重の空を思い浮かべると、まず目に浮かぶのは深く澄んだ青ではないでしょうか。あの青の多くは、ヨーロッパから運ばれてきた合成顔料「ベロ藍」によるものです。

ベルリン生まれの青
ベロ藍は、1704年ごろにベルリンで偶然つくり出された顔料で、英語ではプルシアンブルーと呼ばれます。「ベルリン藍」がなまって「ベロ藍」。日本には18世紀半ばにオランダ船で初めてもたらされたとされますが、高価で、浮世絵にすぐ使われることはありませんでした。
それまでの青
ベロ藍が広まる前、浮世絵の青には主に二つの色材が使われていました。露草の花の汁からとる青は美しい反面、光に弱く、時間がたつと灰色や黄褐色に変わってしまいます。藍染めにも使う本藍は丈夫ですが、色味はくすみがちで、透明感に欠けました。ベロ藍は鮮やかで透明感があり、光にも比較的強い。浮世絵の摺師にとっては、待ち望んだ青だったはずです。
1830年前後、青が変わる
1820年代の終わりごろ、ベロ藍が大量に、しかも安く入ってくるようになります。値下がりの理由については、中国で安価に生産されたものが入ってきたとする説明もありますが、異論もあります。1829年ごろには渓斎英泉の団扇絵などに使われ始め、絵具の科学分析によると、1830年に藍からの切り替えが始まり、1832年ごろにはほとんどの浮世絵がベロ藍を使うようになったといいます。
ちょうどそのころ売り出されたのが、北斎の『冨嶽三十六景』です。天保2年(1831)の広告では「藍摺」がうたわれていました。もっとも「神奈川沖浪裏」はベロ藍だけでなく、本藍も併用して摺られていると考えられています。天保4年(1833)に刊行が始まった広重の保永堂版『東海道五拾三次之内』でも、ベロ藍は空や水に盛んに使われました。
ぼかしで生きる青

ベロ藍の魅力がいちばんよく出るのが「ぼかし」です。摺師が版木の上で水と絵具の量を加減し、濃い色から淡い色へなめらかに移り変わるように摺る技法で、画面の上端に水平に入れるものを「一文字ぼかし」といいます。上の図でも、空の上のほうが濃く、下に行くにつれて淡くなっていくのがわかります。
広重の空や水の青は、近年「ヒロシゲブルー」「広重ブルー」とも呼ばれます。19世紀のヨーロッパでそう呼ばれたのが始まりという説明も見かけますが、確かな典拠は見つかっていません。
このストアの青いアイテム
藍の大波を大きく入れた「神奈川沖浪裏」のTシャツ(ブルー×ブラック)や、フラットポーチでは、原画の青をそのまま生かしています。「神奈川沖浪裏」のアイテムはこちらの一覧にまとめています。













