
蝦蟇の術を使う児雷也(じらいや)、蛇の術を使う大蛇丸(おろちまる)、蛞蝓の術を使う綱手(つなで)。幕末の江戸で大評判をとった合巻『児雷也豪傑譚(じらいやごうけつものがたり)』の三人です。漫画『NARUTO-ナルト-』にも同じ名前の三人が登場するので、聞き覚えのある方も多いでしょう。
中国の盗賊「我来也」から
児雷也のもとになったのは、中国・宋の時代の盗賊「我来也」の話です。盗みに入った家の壁に「我来也(我、来たるなり)」と書き残したと伝えられます。この話を翻案したのが、感和亭鬼武の読本『自来也説話』(文化3〜4年〈1806〜07〉刊)で、主人公の自来也は、蝦蟇の妖術を使う盗賊として活躍しました。作品は評判を呼び、歌舞伎にもなっています。「我来也」が「自来也」となり、のちに「児雷也」と書き換えられて、江戸の人気者が生まれていきます。
『児雷也豪傑譚』と三すくみ
天保10年(1839)、美図垣笑顔の作で合巻『児雷也豪傑譚』の刊行が始まります。作者を替えながら書き継がれ、明治元年(1868)までに43編を数えましたが、物語は未完に終わりました。挿絵を描いた絵師には、歌川国貞(のちの三代歌川豊国)もいます。
この作品で、児雷也は越後の山に住む仙素道人から蝦蟇の術を授かります。そこに加わったのが、蛇の術を使う大蛇丸と、蛞蝓の術を使う綱手でした。大蛇丸は大蛇から生まれたとされる盗賊で、児雷也の宿敵です。一方の綱手は、蛞蝓の仙人から児雷也と結ばれる運命を告げられる勇ましい女性で、のちに児雷也の妻となります。
蛇は蛙に勝ち、蛙は蛞蝓に勝ち、蛞蝓は蛇に勝つ――。三者が互いをおそれて身動きがとれなくなる「三すくみ」は、中国の古典『関尹子』に見えるたとえに由来するとされます。江戸では、親指を蛙、人さし指を蛇、小指を蛞蝓に見立てて勝負する「虫拳」という遊びも親しまれていました。蛙の児雷也は蛇の大蛇丸に弱く、その大蛇丸は蛞蝓の綱手に弱い。どの術も無敵ではないという仕掛けは、長く続く物語を支える要素にもなったと考えられています。
芝居になった児雷也
嘉永5年(1852)7月には、河竹新七(のちの黙阿弥)の脚色による『児雷也豪傑譚話』が、江戸の河原崎座で初演されました。児雷也を演じたのは八代目市川團十郎です。三人がそろって見得を切る「三すくみ」の場面や、児雷也が鷲に乗って逃れる幕切れが見どころとされます。読み物と芝居の両方で、児雷也の人気は高まっていきました。
浮世絵に描かれた三人
三人は浮世絵にもたびたび描かれました。『児雷也豪傑譚』の挿絵も手がけた国貞は、最晩年の揃物「豊国揮毫奇術競」で、三人をそれぞれ一図に描いています。
冒頭に掲げた「賊首児雷也」(文久2年〈1862〉、国立国会図書館デジタルコレクション)は、満月を背に刀に手をかけ、鋭くにらむ児雷也です。月代(さかやき)が伸び放題になったような鬘は「百日鬘」と呼ばれ、芝居で盗賊などの役に使われるもの。足もとでは、紙を折ってつくった蛙が群れをなして跳ねています。蝦蟇の術を、折り紙の蛙で表したしゃれた趣向です。
「妖賊大蛇丸」は、豪華な部屋にたたずむ姿です。蛇そのものは描かれていませんが、黒い衣と、胸元から床まで垂れる無数の色糸が、どこか不穏な気配を漂わせています。
「勇婦綱手」の綱手は、大なめくじの背に乗って海の上に立ち、巻物を手に、額に手をかざして遠くを見やっています。花模様の華やかな衣装と、波立つ藍の海との取り合わせが鮮やかです。当店では、この「勇婦綱手」をビッグシルエットTシャツなどにしています。
忍者になった児雷也
江戸の児雷也は、忍者ではなく、妖術を使う義賊でした。忍術使いのイメージが広まったのは、大正10年(1921)の映画『豪傑児雷也』からと考えられています。監督は、忍術映画のトリックを数多く考え出した牧野省三。主演の尾上松之助は、自来也(児雷也)をたびたび演じて人気を博しました。
漫画『NARUTO-ナルト-』の自来也・大蛇丸・綱手も、こうした系譜の先にいます。NARUTO公式サイトのコラムでは、江戸文学と浮世絵の研究者が、『児雷也豪傑譚』と作品の共通点について語っています(NARUTO OFFICIAL SITE)。江戸の人々が夢中になった三すくみの物語は、形を変えながら、いまも読み継がれているのです。
三代豊国の「豊国揮毫奇術競」には、ほかにも多くの妖術使いが描かれています。顔ぶれは「幕末の妖術使い大集合 ― 三代豊国「豊国揮毫奇術競」の顔ぶれ」で紹介しています。














